私は、1983(昭和58)年に北海道大学医学部を卒業し、一年間小児科で臨床研修を行った後、牧田章教授が主宰する北海道大学医学部癌研究施設生化学部門(現 遺伝子病制御研究所)に入門して研究を始めました。当時、小児科は大学院生を受け入れておらず、小児科と先天性リソソーム蓄積症の共同研究をしていた癌研生化学教室にお世話になることになりました。学生時代不勉強で、研究らしいことは学生実習ぐらいしかやったことがありませんでしたので、右も左もわかりません。まともにピペットさえ扱えない状態でした。
当時、助教授でおられたのが、後に大阪大学教授、理化学研究所ディレクターを歴任される谷口直之先生で、谷口先生から酵素・タンパク質研究法について直接の指導を受けました。牧田教授は、糖脂質のパイオニアである山川民夫先生の一番弟子で、私に課せられたテーマは、ガングリオシドGM1合成酵素の精製と性状解析でした。この酵素はゴルジ膜に局在する糖転移酵素で、研究開始当時、約150種類存在する糖転移酵素の遺伝子はどれ一つ明らかになっていませんでした。研究が先行していた糖タンパク質の糖転移酵素に倣って基質アナローグをリガンドとするアフィニティークロマトグラフィーを何種類も試したのですが、糖脂質の糖転移酵素は切れ味よろしく結合してくれませんでした。それでも騙しだまし、数万倍以上に精製し、銀染色で均一なものが取れたのですが、1ng未満の標品ではプロテインシーケンサーにかけることはかないませんでした。そうこうするうちに、当時、長崎大学におられた古川鋼一先生(後に名古屋大学教授)が、ガングリオシドに対する単クローン抗体を用いた発現クローニングで見事にガングリオシドGM2合成酵素の遺伝子を単離され、先を越されてしまいました。
そこで、研究対象を糖脂質硫酸転移酵素(スルファチド合成酵素)に替えました。牧田研の先行研究で、スルファチド合成酵素の比活性がヒト腎癌細胞でラット腎臓よりも50〜100倍高いことがわかっていましたので、培養細胞から精製することにしました。比活性は高かったのですが、アミノ酸配列を決めるにはヒト腎癌細胞を100グラム以上集める必要がありました。質量分析の専門家である大阪府立母子保健総合医療センター研究所の和田芳直所長の協力もあって、なんとかアミノ酸配列を決めることができました。後は常法にしたがって遺伝子クローニングを行い、ヒトとマウスのmRNAとゲノムDNAの構造を決定しました。
このように、研究を始めた当初は、ラット肝からゴルジ膜の調製と糖転移酵素の精製に明け暮れていました。有機化学合成の素養もないのに、酵素基質を材料にして、あれこれアフィニティーリガンドを拵えては酵素が結合するかどうかを試していました。地味で何の役に立つのかわからない研究を毎日繰り返していましたが、この間に独自性と本物を見る目は養えたと思います。このときの経験があったからこそ、最近のEMARS法(生細胞の細胞膜上で近接する分子を同定する方法)の開発や、sn-1位に不飽和脂肪酸をもつリン脂質の機能解明が可能になったのだと思います。
【私の履歴書】
学 歴 |
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1983年3月 |
北海道大学医学部 卒業 |
1983年4月 |
北海道大学大学院医学研究科博士課程 入学 |
1986年3月 |
同 中退(助手任用のため) |
1983年5月 |
医師免許証取得(第273774号) |
1994年3月 |
博士(医学)(北海道大学No.4463) |
職 歴 |
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1986年4月 |
北海道大学医学部附属癌研究施設生化学部門 助手 |
1992年7月 |
同 講師 |
1995年4月 |
大阪府立母子保健総合医療センター研究所 主任研究員 |
1999年11月 |
大阪大学大学院医学系研究科 生化学・分子生物学講座 助教授 |
2003年7月 |
高知医科大学 遺伝子病態制御学教室 教授 |
2003年10月 |
高知大学医学部 遺伝子病態制御学教室(現 生化学講座) 教授
(高知大学との統合による) |
2007年10月 |
高知大学医学部システム糖鎖生物学教育研究センター長 併任 |
2010年4月 |
高知大学教育研究部医療学系基礎医学部門生化学講座 教授(大学内改組による) |
2016年4月 |
高知大学医学部長 併任 |
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